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支援先について
投稿者:WDRAC 広報チーム
侵攻から半年。ウクライナ、そしてオレッグの近況。
ウクライナへの軍事侵攻が始まってから、半年が過ぎました。
WDRAC(ワドラック)で支援するアンサングヒーローの1人、オレッグはウクライナのキーウで暮らしています。
オレッグと代表のあきらは共通の知人を通じて2022年の4月に繋がり、WDRACとしても彼の支援活動をサポートしていくことを決めました。
それから2人は毎日のように連絡を取り合っています。
オレッグは侵攻が始まった2月末から、避難した家族と離れ1人キーウに残り、支援活動をしています。そんな彼の暮らしは、半年経った今も大きくは変わらず、いまだ空襲警報が鳴り響く中、支援が必要な所へ毎日物資を配達しています。
今回は、この期間にオレッグから届いた日々の様子や彼からの言葉を、少しだけレポートします。
4月
オレッグから届いた、キーウ市内のスーパーの様子。
「お金を送ってもらっても、買うものがないんだよね。」
5月
サイレンが鳴り響く中、物資を届けるため車を走らせるオレッグの様子が届きました。
「この音が聞こえる?でも僕は行かなくちゃ」
ハンドルを握り配達に行くオレッグ
キーウでは昼夜問わず、空襲警報が鳴っています。
最近は温水器を4台購入して、避難している家族に届けたり、片道400kmを往復してバターを1,000kg運んだそうです。
「載せる荷物が増えてきたので、車を購入しようと思う。
WDRACからの支援を受けたい。」
といった、具体的な支援のリクエストもありました。
6月
オレッグからの近況では、彼のいるキーウにミサイルが着弾、月末には厳戒態勢を促すメールが政府(防衛軍)から届くなど、戦火がより身近になってきている様子が伝わってきました。
出来事としては、
・民間車両を塗り替える手伝いをしたこと。
・その車は軍用車の救護車両として使われるのだということ。
・前線で戦うことになった幼馴染を送っていったこと。
・キーウ市内にミサイルが飛んできたこと。
・新生児に必要なものを病院に届けてきたこと。
などを知らせてくれました。
「WDRACからの寄付、届いてるよ。ありがとう、ありがとう。」
7月
この月は中旬から下旬にかけて、日々の安否確認の”Say hello”が続いていました。
写真での活動報告は少なめでしたが、変わらず物資運搬の活動をしていたようです。
送られてきた動画からはこれまた変わらず空襲警報が聞こえてきます。
政府が発出している防空警報ではほぼ全土が「真っ赤」になっています。
そして、WDRACからの寄付で運搬用の車両を購入したという報告もありました。
車両エンジニアの彼は、これから内装・外装・エンジンなどを整備して引き続き物資の運搬を続けるのだそうです。
2010年にダカールラリーにウクライナチームのエンジニアとして参加したときのオレッグ
そして、8月。
オレッグからは何枚かの写真とともにキャプションでメッセージが送られてきました。
車の窓に貼られたWDRACのステッカー
〈以下、キャプションの日本語訳〉
WDRACからの寄付で車を購入しました。
この車を修理して、色も塗り、きれいにしました。
そして、WDRACステッカーをドアと窓に貼りました。
この車に乗る人たちは、外を眺めるたびにこの車が誰の支援によって提供されたか知ることになるでしょう。
私たちの一歩ずつの積み重ねに気づくことができます。
大事なことは、私たちは樹々のように共に育まれてきたこと。
そんな気持ちでいますよ!
キーウでもスイカが美味しい季節です。
これから届けに行ってきます。
髪が少し伸びてきたオレッグ
オレッグとのやりとりを通じて
WDRACに寄せられた寄付は、オレッグを通して困窮している人々への支えになっています。
好むと好まざるに関わらず、私たちはこの「戦争」に関わりを持ちました。
日本で報道されるウクライナに関するニュースは日々減ってきているように感じますが、オレッグという「ひとりの市民」との繋がりによって、私たちは今も戦災によって支援を必要としている人がいること、そして支援している人がいるのだということをリアリティをもって感じることができています。
私たちができる支援は決して多くはないかもしれませんが、少しずつでも、「支援する人を支援する」ということに、引き続き取り組んでいきたいと思います。
寄付について
WDRACでは、みなさまからのご寄付を募っています。
いただいたご寄付は、彼らのニーズに応じて、支援活動の資金として送金いたします。
ぜひ、彼らの活動を支援し、ともに見守っていただけたら幸いです。
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