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ABW支援活動同行記

投稿者:WDRAC 広報チーム

【Day.3】6/15 後編 リヴネ、イルピン、リヴィウ、メディカ

次の目的地はSimonの知り合いの家。

車で5分、イルピン川のたもと、市街地戦の最前線だった場所。
虐殺のあったブチャ(外部:ロイターの記事へのリンク、閲覧注意)は通りを隔てた向こう側で、10分もかからない。

事前に連絡はしてあったものの不在だった。
国道から少し入った、100軒ほどの家が並ぶ住宅街。

「電話したけど出ないや。」とSimon

焼かれた家、壁に無数の弾痕が残る家、改修して綺麗な家。

地震・津波・台風による災害と水害は多く目にしてきたこともあって、この周囲の状況に違和感を感じた。
しばらく観察して違和感の理由がわかった。

天災はそのエリア一帯を破壊するが、人災(戦争、特に地上戦)は建物すべてを破壊しない。
奪われるか、残されるか。
戦争がコミュニティを分断していく様子を目の当たりにした。

燃やされた家。

壁に無数の弾痕が残る家。
このエリアは3月の下旬までウクライナ軍とロシア軍の地上戦が続いた。

この家は改修工事をしていた。
打ち捨てられたままの家も。

1年4ヶ月前のこのあたりの様子が残っている。

ロシア軍の戦闘車両がキーウ中心部に入れないように、ウクライナ軍と領土防衛隊はイルピニ川にかかる複数の橋を破壊した。

戦闘が収束した3月下旬から1年3ヶ月経つが、橋はまだ復旧していない。

キーウの中心地、メディアでよく目にする独立広場(ミカエル像が有名ですね)や戦争博物館の祖国記念碑(祖国の母の像として知られていますね)までは車で15分ほどの場所にいたので、「せっかく来たんだからちょっと見に行くか」ということもできた。

が、そのあたりは我々プロの中年の矜持か、「とっとと仕事を終わらせてメディカに戻ろう」と脇目もふらず時間を惜しんで次の目的地であるリビウの避難所に向かう。
もちろん、エンジンの異音と共に。

これから起こる出来事は、「だから車を買うためのお金を寄付してくれと言ったじゃないか」ということを立証してくれる。
しばしお付き合いください。

P30からE40へ、フリーウェイに入って1時間30分。
ジトーミルを抜けてリヴネまであと1時間というところでついにエンジンが止まる。

ハンドルを握るTravisは極めて冷静に「エンジンが止まったぜ」と惰性で走る車を路肩に寄せる。

止まっちゃった。

しかし我々には奇跡が起こる。
車が自然に止まった場所は、ガソリンスタンドの脇である。

WOG。
冷暖房完備の売店とトイレ、Wi-fiと電源もある完璧なガソリンスタンドの脇に止まった。
奇跡は起こるが嫌な予感しかしない。

さらに奇跡は続く。
車を降りてガソリンスタンドに向かったSimonは、スタンドの隣にあるガレージが併設されたカー用品ショップに聞き込みに行く。
調整や交渉は彼の得意領域である。
ほどなくしてカー用品ショップから出てきたSimonが我々のバンの元に戻ってきた。

ところでこのバン(走行距離15万kmの古いプジョー・エキスパート)にはニックネームがある。
Bettie(ベティー)である。
女性名詞なので、我々は車のことを「She」と呼ぶ。

「彼女を酷使しすぎてしまった俺たちに責任があるんだ」
「もっとたくさんキスをしてあげればよかった」
「実はキス以上のことをしたから気を失ったんじゃないか」
などと呑気にバカ話をしていると、ボロボロの車に乗った迷彩服の男が無言で近づいてきた。

ウクライナ語なので何を言っているのかわからないが、僕クラスになると魂レベルで何を言ってるのかわかるのだ。
曰く、「牽引するからフックを探せ」と。

彼は自動車修理工だった。
名前はわからない。ほとんどしゃべらないからだ。
後に彼は我々に勝利をもたらしてくれたので、名前を「ヴィクトル」としておこう。

ガソリンスタンドの裏手、200mの場所にヴィクトルの自動車修理工場があった。
ヴィクトルは、Simonが交渉したカー用品店の店主から連絡を受けたというわけだ。

さっそく牽引されて修理工場に向かうベティ。
時間は午後2時をちょっと過ぎたところ。
とても暑いが乾燥しているので日陰は涼しい。

ヴィクトルは黙ってボンネットを開けて黙って覗き込む。

空が広くて気持ちがいい。
修理工場は大型トラック専門のようだ。

ヴィクトルは相変わらず喋らない。その横でSimonとTravisはずっと喋っている。僕は黙ってその様子を観察する。

やがてヴィクトルが口を開く。
何を言っているかわからないのでアプリを使う。

「オルタネーターが壊れておる。交換する。部品を取りに行ってくるから待っとけ。3~4時間で終わる。」

それだけ言い残して彼はどこかに消えた。

寡黙だが腕は確かな男、ヴィクトル。

ふと空腹に気づく。
朝からコーヒーと水以外のものを口にしていない。
しばらく時間はかかりそうだし、とりあえずWOGに調達しにいく。

首輪をつけた犬が放し飼いにされていて、僕のあとをついてくる。

空は青く雲は白く、ほどよく車通りがあってWOGの店内とレモンティーは冷えていて、ホットドッグは温かい。

レモンティーかな、と思ったら洗剤みたいな味がした。
意外とくせになる味。

修理工場に戻り、暇なので日本のメンバーに急遽Zoomをしたり、SimonとTravisに「こんなとき、我々はどうあるべきか」ということをインタビューしたりした。

大変ありがたいことに、修理工場はWi-fiを開放してくれていてトイレもあって少し溜まったメールの返信や仕事の類を進めることができた。

Travisの言うように、実に我々は幸運だった。

「これが夜で、ひとけのない場所で、携帯電話の電波も入らないところだったらと思うと」などと考えた時に、「まあそれはそれでおもしろい土産話ができるだろうな、来た道を引き返して明るくなるまで歩けばいいし」と思ってしまうあたりが我々中年3人組のプロたる所以である。

しばらくするとヴィクトルが中古のオルタネーターを手に戻ってきた。

オルタネーターは、エンジンの回転数を利用してバッテリーに蓄電するための発電機で、水に浸かると壊れる。

ここまでの悪路で幾度となく水たまりや穴に突っ込んだり、強い衝撃を与え続けていたのでシャフトが折れて発電が止まり、蓄電も止まり、ベティも止まった。

拳2つ分の小さなパーツだが、極めて重要なパーツ、オルタネーター。

助手の若手、アレクセイ(仮称)とボンネットを覗き込みながらパーツを交換する。
取扱説明書などない。

この時点で3時間が経過した。

そして午後6時11分、遂にベティーが息を吹き返す。

奇跡はまだまだ続く。
エンジンはかかった。
オルタネーターも交換した。
我々はこれでメディカに戻れる。
だがこのままここを立ち去るわけにはいかない。

そう、支払いだ。

修理を待つ間の我々の話題はこのお金の話が中心だった。

「どうする?めっちゃぼったくられるかもよ?」
「いやあ、でも20万円はいかないっしょ」
「わかんないよ、財布全部置いていけ、車の中身も全部置いていけとか言い出すかもよ」
などと散々なことを好き勝手に言っていた我々。

Simonがアプリを使って交渉すること1分、ヴィクトルはこう言った。

「4,000フリヴニャ」

ちょっと待ってね、計算するから。

15,000円!

日本の相場だって7~10万円はするのに。
ヴィクトルの言い分はこうだ。

「お前たちは遠い国から我々を助けるためにやってきた。助けるためにやってきたお前たちを我々は助ける義務がある。お前たちを助けることが同胞を助けることにつながるからだ。」

漢(おとこ)、ヴィクトル。
部品代の実費だけを請求して、工賃なども取らず、我々の事情を察知し笑顔ひとつ浮かべずに仕事をやりきるヴィクトルであった。
我々は丁重にヴィクトルたちに礼を述べ、修理工場を出発した。

漢・ヴィクトル。

すっかり夕方になったが、息を吹き返したベティーを祝福するかのような夕焼け。
地平線にゆっくり日が落ちて空が朱色に染まる。

午後10時30分、リヴィウの北に位置するブリウホヴィチに到着。

教会が運営するリトリートセンターが避難所として使われ、50人程度が身を寄せているという。
夜も遅い時間だったが、ボランティアリーダーを始め避難者たちが荷下ろしを手伝ってくれた。

これで今回の配送物資をすべて配り終えることができた。

ブリウホヴィチを出て、リヴィウを抜け、M11に戻りポーランド国境に着いたのは深夜0時過ぎ。
ここでも車列ができていたが、乗用車の数はそれほど多くなく1時間ほどで国境を通過することができた。

Travisは検問所近くの駐車場に停めてあるもう1台のバンを引き取りに行く。
メディカで活動していた他団体に車を貸したところ、3ヶ月以上返ってこなくて連絡があったかと思えばこんなところに停めちゃったんだよ、とSimonが教えてくれる。
2011年、石巻でも同じようなことがあったっけ。

疲れているけど元気なTravis

往路と同じように、ウクライナの検問所にパスポートを提出、車内と書類チェックを終えてポーランドの検問所へ。パスポートを提出して同じように社内と書類チェックを終えてメディカへ。
84の周囲には相変わらず30人くらいの難民が溜まっている。

深夜1時、ようやく今日の仕事が終わる。
ふと夕飯を食べていないことを思い出すが、シャワーを浴びてベッドに潜り込む。
Travisも戻ってきた。