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投稿者:WDRAC 広報チーム

ルーマニア滞在記 Vol.5

 

 

2週間目後半のある日、皆んなの空気がいつもよりピリピリしていると感じた。

ソワソワ落ち着かないような感じと、いつもより表情が硬く、度々スマホで誰かと連絡を取っている。

何かあったんだろうな、と思った。

自分が支援センターにいた中でこの日が一番、緊張感が表に出ていたと思う。

後でパトリチアさんに聞くと、ウクライナでまだ攻撃されていなかった場所が砲撃された、ということだった。

自分もなんだか、落ち着かない日だった。

 

支援センターに来てから、一緒に過ごした時間が一番長かったのが、ナターシャだった。

支援センターの近くに住んでいて、毎日お母さんと一緒にお手伝いにきていた。

自分が支援センターを離れる日の2日前の午後、ナターシャから突然別れを告げられた。

え!なんで!?

パスポートのことで、どうしてもブカレストに行かなければならない。と。

、、もしかして、ウクライナに戻る?

今まで戦争に関するような話は避けてきたけど、咄嗟に聞いてしまった。

またクルジュに戻ってくるよ。でも入れ違いになるから、今日が最後になる。ということだった。

自分が支援センターを離れる日まで会えると思っていた。

戦争が起こっている今、そんな保証はどこにもないのに、この期に及んで明日も会えるとか思っていた自分がバカすぎて、言葉も見つからない、、

ナターシャが最後にくれた言葉は「幸運を」だった。

それを見て、涙がとまらなくなってしまった。

運がよければ生きられる。生きたいと思っていても、それさえ突然に奪われてしまうかもしれないという世界にいるんだな。と。

 

戦争は嫌だし、今すぐ終わってほしいし、この先も起こってほしくない、と思う。

だけど皮肉なことに、戦争が起こってしまったことで出会えた人たちがたくさんいるのも事実。

出会った経緯は悲しいものだけど、この出会いを大切にしたい。

自分の肌で、支援センターやここにいる皆んなの空気とか温度を感じ、皆んなと仲良くなれたことは本当によかった。

良くも悪くも起こった出来事は人や社会の中で風化していくけれど、友達になれば、そうなりにくい気がする。

 

ルーマニアに行こうと思った理由の一つに、自分の身近にいる人たちが、この戦争に対してとても反応が薄かったことがある。

ここの関心がそもそも薄ければ、WDRACにもつながりにくいと思った。

どうすればもっと関心を持ってもらえるのか考えた時に、自分が現地に行くことで少しでも関心を持ってもらえるんじゃないかと思った。

なので、身近な人たちにどう伝えるかで、今回ルーマニアに行ってきた意味がより大きなものになりそうな気がする。

(伝えることはとても苦手ですが、、!)

 

WDRACで繋がりをつくっていただいて、本当にありがとうございました。

ルーマニアからのFacebookの投稿を見てくださって、とても身近に感じるようになった。前よりも自分ごとに感じるようになった。というコメントをいただいたのは、とても嬉しかったです。

あぁ、ルーマニアに来てよかったな。と思いました。

これからも、現地で支援している皆んなに会いに行きたいなと思ってます。

(おわり)